没後20年目 マッスル北村さんに捧ぐ言葉。あなたに救われました

8月3日、今日はマッスル北村さんの命日。亡くなってからちょうど20年目を迎えることになります。

まだまだ若造の私ですが、北村さんからは多大な影響を受けました。人生の恩師だと思っています。

少し恥ずかしくもあるのですが、節目のこの日に、北村さんとの出会いや氏への思いを綴りたいと思います。

マッスル北村?(失笑)

初めてマッスル北村さんの話を聞いた時、あなたの印象はどういったものだったでしょうか?

実は申し上げると、私にとってその印象は決して良くありませんでした。少し嘲るような思い出を抱いていたほどです。

学生時代、私は10年来ある競技スポーツをしていました。

そんな私が北村さんのことを耳にしたのは、確か友人とトレーニング後の雑談のとき。

トレーニングをはじめ常軌を逸したような逸話、最終的には餓死しただの、といった話を聞いて

  • エピソードは散々だし名前もマッスルって…笑
  • 最終的に自己管理できずに餓死..たちの悪いギャグかよ

だなんて、嘲笑してしまったのを覚えています。

少しだけ弁明しておくと、多くのスポーツにおいて筋トレ(ウエイトトレーニング)というのはあくまで手段。競技で行き詰った時の逃げ先になってしまうこともあるのです。

競技力向上のためのトレーニングの一環で目的を持ちウエイトトレーニングをするのはありですが、ウエイトトレーニングが目的化すると必ず失敗します(そして、そういう人が実に多い)。

そんなこともあり、ウエイトトレーニングに少し偏見がありました。

人生のどん底での北村さんとの再開

時は経って、私が社会人になって数年頃。

すごく落ち込み、とても苦しんだ時期があります。要因は色々ありますが平たく言えば、

  • 人生の目標(のようなもの)を見失ってしまった
  • 自分の仕事のできなさ加減に失望した

ということに尽きると思います。本当によくある話。

とにかく、何をするにしても後ろ向きな考えに囚われ、半ば鬱になりかけました。

そして、現実から逃れるようにふらふらと行き着いたのがジムでした

(書いていて自分の小ささに恥ずかしくなりますが…)人より少し重い重量が上がることで、自己肯定感を取り戻したかったのだと思います。

完全に逃げです。

そんなある日、ボーッとスマホを眺めているときにたまたま目に入ったのが北村さん。

「あぁこんな人いたなぁ。どうせ、筋トレしかやってないんだろ。今の俺の方がまだ社会の役に立ってるか。全く、どんな経歴を歩んでたんだか。」

そんな偏見まみれ、性根の悪い考えで北村さんの経歴を検索して唖然とします。

「東大に進学して…医学部に行って…?マジか、何でこの人はボディビルをやってたんだ?」

そして、調べていくうちに北村さんが抱いていた

『ボクはボディビルを通じて万人を勇気づける心の医者になりたい』

という思いを知ることになるのです。

「なんて素敵なんだ」とその純粋な思いに心打たれました。

それと同時に

  • 大きな志をもって人のためにトレーニングをする北村さん
  • 単に自分の優越感にひたるために腐りながらトレーニングをする私

氏がボディビルに行き着いた紆余曲折に照らして考えると、自分の生き方のふがいなさに涙が止まりませんでした。

ガラッと変わった人生へのスタンス

ジムで北村さんについて調べたその日以来、大げさに言えば人生への向き合い方について深く考えさせられました。

上部だけの経歴で人を判断しようとした薄い価値観、本来好きであった筋トレを逃げの場として使って自暴自棄になっていること。

気づかぬうちに、自分の生き方全てが利己的で薄っぺらくなっていることに気づいたのです。

そして、その根底には自分の人生や世の中への失望があったのです。いや、正確は失望したつもりになっていたのです。

北村さんがボディビルで生きていくと決心するまでの間には数多くの紆余曲折、そして悩みがありました。

果たして、

  • 自分には北村さんのような信念はあるだろうか?
  • 信念が漠然としているのは悩んだり・行動したりといったことが足りないのではないか?
  • 目の前の仕事だって、本当に限界までやっているだろうか?

端的に言えば「人生に対する本気度が足りない」そう痛感しました。

それからもう一点、北村さんのことを知り、ものすごく救われたことがあります。

もともと私は不器用。リーダーには向きづらい気質の人間です。社会に出てから「そういった人間では、人を動かし、何か大きなことをなし得るのは非常に難しそうだ」ということを薄々感じていました。

ですが、そうとも限らないぞ。と。

(語弊を恐れず言えば)ボディビルというすごく個人的な営みを通じてこれだけ多くの人の心を動かしている人がいる

しかも、筋肉を鍛えるという、ある種、単純極まりない行為を経て、です。

実際、マッスル北村さんに勇気付けられている人がネットを見れば数知れずいることがわかります。没後20年経った今でも。(現に私も北村さんからは勇気をもらい、多くの内省の機会を頂戴しました)

これが私にはとてつもない希望に見えました。

知らず知らずのうちに、

世の中のためになること

=新しいビジネスや事業での成功

(≒自分には向かない)

と決めつけてしまっていました。

けれど、世の中への影響の与え方は1つではないのです。

大丈夫。時間はまだある

『何のために生きるのか』マッスル北村さんは中学生の頃からそんな思いを抱き、ボディビルを通じて人を勇気づける、という道を選びました。

残念ながら私には、まだ北村さんにとってのボディビルのようなものは見定まりません。

北村さんの口癖だった「僕には時間がない」という言葉に照らすと、正直少し焦りたくなる気持ちもあります。

でも大丈夫。人生100年時代と言われる今。北村さんの生きた40年間はものすごく濃いものだったとしても、私にはまだ時間があるはずです。

自分にとっての信念や人生をかけてなしえる事を必ず見つけてやる。本気でそう思います。

当然、自分の能力の凸凹や欠点を言い訳に、人生から逃げるようなことはもうしません。

最後に

自伝「ボクの履歴書」にありありと綴られた成功・挫折の数々。そこから垣間見られる不器用さ。そして何より、青臭く理想を掲げて生きることの大切さ。

北村さん、あなたの生き様からこれ以上となく大きな勇気をもらいました。

一目でもお会いしてお礼を伝えられれば、何度そう思ったでしょうか。

直接伝えられない思いは、自分の人生を精一杯生き、人のために頑張ることで代えさせていだければと思います。

2020年8月3日 合掌