ダンベルをバーベル化「KOMBOバーベル」特集

【神話】セルジオオリバの伝説/ステロイド疑惑/息子についてまとめ

  • ミスターオリンピアをはじめて3連覇
  • 漫画・刃牙に登場するビスケット・オリバのモデル


『セルジオオリバ』

ボディビル界で今なお語り継がれる英雄、セルジオオリバについて

  • 経歴(生い立ちから晩年まで)
  • 逸話や伝説

をたっぷりとまとめました。

セルジオオリバとは?

セルジオオリバは、ボディビルの黎明期である1960年代後半に活躍したプロボディビルダー。

遺した逸話の数々から「神話(myth)」とファンから呼ばれるボディビル界伝説の選手です。

ミスターオリンピアを3連覇

セルジオオリバは、ボディビルの世界大会「ミスターオリンピア」で2代目の王者になっています。

1969年にアーノルド・シュワルツェネッガーに敗れるまでの3年間、チャンピオンとして君臨しました。

宅(タク)

殿堂入り選手といっても過言ではない!

オリジナルの「オリバーポーズ」


オリバーポーズは、両手を高々と挙げて腕の太さや逆三角形の体型を強調するポーズ。

その名の通りセルジオオリバが考案したもので、筋肉が伸びるポージングなので並の筋量では良い見栄えになりません。

随一の腕の太さを持っていたオリバだからこそ成り立っていたポージングですね。

学生ボディビル選手権では今なおオリバーポーズでの比較審査が行われています。

宅(タク)

ボディビル界で脈々と受け継がれるセルジオオリバの魂!

刃牙のキャラクターモデルに

人気漫画、グラップラー刃牙に登場するビスケット・オリバというキャラクターをご存じでしょうか。

一目見たらすぐ分かるのですが、このキャラクターはセルシオオリバがモデルになっています。

作者の板垣恵介氏は明言こそしていないものの、

  • セルジオオリバと同じくキューバ系アメリカ人
  • セルジオのオリバーポーズを披露
  • 作中でセルジオと同じように銃弾を受ける&無事という描写がある

と明らかにセルジオオリバをモデルとしたことが見て取れます。

宅(タク)

他にもアントニオ猪木をモデルにした猪狩など、刃牙には実在する人物がモデルのキャラクターが多数登場します!

選手としての特徴

  • 関節が細いことでメリハリが出て、より筋肉の大きさが強調される
  • ウエストが細く逆三角形が強調される
  • 上腕&前腕が非常に太い

これらが、ボディビルダーとしてのセルジオオリバの主な特徴です。

宅(タク)

特に腕は52(安静時)~57(パンプ時)cmと、当時世界一の太さを誇っていたという記録が残っています!

プロフィール&ボディビル戦歴

セルジオオリバはこんな人

  • 生年月日:1941年7月4日 (2012年11月12日没)
  • ニックネーム:The Myth(神話)
  • 出身地:キューバ
  • 身長:175cm
  • 体重:108kg
  • 上腕:55cm
  • 胸囲:146cm
  • 腹囲:68cm
  • 大腿:80cm

ボディビル戦歴

開催年大会名結果備考
1963年Mr Chicago優勝
Mr Illinois優勝
1964年Mr America7位 AAU 主催
Junior Mr America2位 AAU 主催
1965年Mr America4位 AAU 主催
Junior Mr America優勝 AAU 主催
1966年Mr America2位 AAU 主催
ミスターワールドオーバーオール優勝 IFBB 主催
ミスターユニバース優勝 IFBB 主催
ミスターオリンピア4位 IFBB 主催
ミスターオリンピア優勝 IFBB 主催
1967年ユニバースオーバーオール優勝 IFBB 主催
ミスターオリンピア優勝(不戦勝) IFBB 主催
1968年ミスターオリンピア優勝 IFBB 主催
1969年ミスターワールド2位 AAU (Pro) 主催
1970年ミスターオリンピア2位 IFBB 主催
ユニバース2位 NABBA (Pro) 主催
1971年ミスターオリンピア2位 IFBB 主催
1972年Mr Galaxy優勝 WBBG 主催
Mr International, Mr Azteca[citation needed]優勝 IFBB (Pro) 主催
1973年Mr Galaxy優勝 WBBG 主催
Mr International優勝 WBBG (Pro) 主催
1974年Mr Olympus優勝 WBBG 主催
1975年Mr Olympus優勝 WBBG 主催
1976年Pro World Championships優勝 WABBA 主催
1977年Mr Olympus優勝 WBBG 主催
1978年Pro World Championships優勝 WABBA 主催
1980年Professional World cup優勝 WABBA 主催
Professional World Cup優勝 WABBA 主催
1981年ミスターオリンピア8位 IFBB 主催
1984年Professional Mid-States Championships優勝 WABBA 主催
ミスターオリンピア8位 IFBB 主催
1985年ミスターオリンピア8位 IFBB 主催

セルジオオリバの経歴

ビーチで見出された才能

若きオリバがその才能を見出されたのは、彼がキューバのビーチで日光浴をしている時でした。

プロの重量挙げマネージャーに”ジムで力を試してみないか”と声をかけられたセルジオは、頭上までバーベル90kgを簡単に押しあげて周囲を驚かせました。

MEMO
ちなみにオリバがバーベルに触ったのはこの時が初ではありません。18歳より前から自宅で重量挙げの練習をしていたとインタビューで語っています

そのわずか3か月後。なんと、セルジオは重量挙げのキューバ記録を更新。マネージャーをはじめ周囲を大喜びさせました。

1961年にはキューバの重量挙げの代表選手に選ばれましたが、試合当日にオリバの姿はありませんでした。

当時はフィデル・カストロの抑政に苦しめられていたキューバ。セルジオオリバは、大会の前日に自由を求めてアメリカへの亡命をはかったのです。

ミスターアメリカ挑戦も燻る日々

米国への亡命後、フロリダでのFBIの保護観察下を経てからシカゴに移り住んだセルジオオリバ。

彼はこの町でボディビルを始めます。実は以前から密かにボディビルに興味があったオリバ。ですが、キューバでは政治的な理由でボディビルのコンテスト参加ができなかった事情があったのです。

アメリカに来てからは重量挙げですべてのタイトルを手にしました。ですが、いつでも私の一番の関心ごとはボディビルだったのです。
When I came to the United States I continued competing in weightlifting and won everything. But always I have had my favorite, which was bodybuilding

宅(タク)

アメリカに亡命することでボディビルに挑戦出来るようになったのですね!

セルジオオリバが目標に据えたのは、「ミスターアメリカ」という全米ボディビル大会のタイトル獲得。

しかし、数年トレーニングに明け暮れる日々を続けるもタイトルに届かない日が続きます

MEMO
この頃オリバはトラックの積み荷を降ろす等の肉体労働に従事していました。ただ、1日分の仕事を午前のみで終えてなおピンピンしているなど、卓越した体力も持ち合わせていました

ミスターオリンピア3連覇


ミスターアメリカに挑戦を続けていた当時、ファンの評判では”いつオリバが優勝できていてもおかしくなかった”といいます。

「完全にフェアな審判がなされているのか?肉体を鍛えるだけではAAUでは優勝できないのでは?」そんな思いが芽生えたのでしょうか。

1966年にオリバは主戦場をAAUからIFBBという別の団体に移します

結果的にこれが功を奏すことになります。IFBBでは早速タイトルを獲得。1966年からはIFBBで最大の大会、ミスターオリンピアで3連覇を果たしています。

シュワルツェネッガーとの闘い

3連覇の最後の年にあたる1968年、セルジオオリバはミスターオリンピアで、アーノルド・シュワルツェネッガーを退けています

この時以外、アーノルドはオリンピアで無敗。

宅(タク)

つまり、セルジオオリバはアーノルドを破った唯一のボディビルダーです!

翌年1970 年にはアーノルドに敗退。その後もミスターオリンピアでアーノルドと再び相まみえるものの敗戦に終わっています

最も、この辺りの審判にはセルジオをはじめ他一部のファンが納得していないことも付け加えておきます。

MEMO
このこともあってか、1972年以降のオリバは、WBBG(World Body Building Guild)に団体を移し数年を過ごします

宅(タク)

WBBG時代のオリバは無敗。すべてのタイトルを手にしています!

警察官とボディビルを両立

セルジオオリバは1975年から2003年までの28年間、シカゴ警察で働く生活を続けています。

当時は、14時間の勤務をした後トレーニングを行うというハードな日々を送りました。

宅(タク)

かのロニーコールマンもオリバと同じく警察官でしたね!

シカゴという町を愛していたオリバ。資産を築いた後もカリフォルニア等のセレブ街に移り住むことなくシカゴに本拠地を置き続けました。

物議を醸したミスターオリンピア復帰

キャリアの後半にあたる1984年、セルジオオリバはIFBBのミスターオリンピアにカムバックしてファンを喜ばせました。

結果は8位入賞

ただ、入賞がままらない身体だったのも事実で、世界七不思議に次ぐ、”8つ目の不思議”としてバッシングを受けています。

セルジオオリバの晩年

ボディビル引退後のセルジオオリバは、本の執筆や世界各地を巡ってのファンとの交流に精力的に取り組みました。そしてその傍ら、ウエイトトレーニングも欠かしていませんでした。

ただ、ボディビルで痛めつけた体のダメージは大きく、17回の手術を受け、両膝の関節は交換したともインタビューで明かしています。

そんなセルジオオリバは2014年に惜しまれつつ、享年71歳でその生涯を閉じました。死因は腎不全でした。

宅(タク)

ミスターオリンピアの優勝者で亡くなったのはセルジオオリバが初でした

セルジオオリバの伝説・逸話

セルジオオリバは、選手として金字塔を打ち立てただけでなく、信じられないようなエピソードをたくさん残しています。

宅(タク)

数々のその伝説的エピソードを見てみましょう!

オリバの筋肉が凄すぎて観客がゲロを吐く

それは、とあるコンテストでセルジオオリバがマスキュラーポーズを披露した時のことでした。

なんとセルジオオリバの迫力に気圧されて、観客の一人が嘔吐してしまいました。

宅(タク)

覇王色の覇気?

ライバルが全員辞退しオリンピア不戦勝

セルジオオリバが圧倒的肉体でミスターオリンピアで初優勝を収めた翌年、出場したのはオリバだけでした。

なんと、前年のオリバの筋肉量に感嘆したライバル達が「これは敵わない」と軒並み出場を辞退したのです。

宅(タク)

ミスターオリンピア史最初で最後の不戦勝のまま連覇を果たすことになったのです!

銃弾を5弾を身に受けても無事だった?

セルジオオリバの超人エピソードの中でも特に驚きなのがこの逸話。

ある日ちょっとした(?)夫婦げんかの末、妻からピストルで撃たれてしまいます。その数なんと5発。

宅(タク)

普通の人なら間違いなく死んでしまいますよね…

ですが、強靭な筋肉で守られたセルジオオリバは命を落とすことはありませんでした。

そればかりか、そのまま自分で車を運転して病院に診察に行ったといいます。

プロビルダーの息子セルジオオリバJr

セルジオオリバには息子がいて、彼もまたプロのボディビルダーとして活躍しています。

(左):父のセルジオ、(右):息子のセルジオオリバJr

名前は父の名を受け継いで「セルジオオリバJr」

宅(タク)

ミスターオリンピア優勝に向けて今後の活躍が期待されるホープ選手です!

オリバはステロイドを使っていた?

現代のプロボディビルダーはほぼ全員がアナボリックステロイドを使っているという暗黙の了解があります。

宅(タク)

セルジオオリバが活躍していた時代はどうだったのでしょうか?

アナボリックステロイドが筋肉増強剤として注目を集めはじめたのは、1960年代の前半程。

つまり、オリバの現役時代にはすでにステロイドが存在していました。そして、当初はステロイドを公に検査する仕組みが確立されていませんでした。

MEMO
はじめて薬物検査が大々的にスポーツの場に取り入れられたのは1976年モントリオールオリンピックです
  • ステロイドは筋肥大に役立つ&使っていたとしても見つからないという状況
  • セルジオオリバの身長や体重

こういったことを踏まえると、状況証拠的にオリバがステロイドを服用していてた可能性は高いと考えられます。

一方、オリバはウエストが細く、ステロイドの副作用として知られるバブルガット(お腹が膨れる現象)が見られません

また、ボディビル引退後のインタビューで「今のボディビルダーは言葉に出せないような物まで使っている(ステロイドのことですね)」と語っていて、ステロイド服用はしていなかったと思わせる発言をしています。

宅(タク)

原文のインタビューにはオリバの誠実な人柄が色濃く出ています。真相は分かりませんが、個人的にはオリバの上の発言を信じたいところです

ライバルのアーノルドとの”確執”?


1970年のコンテストにはある疑惑があり当時ファンの間で論争となりました。

「アーノルドが、ステージがまだ終わっていないオリバが退場するように仕向けたのでは?」

というのです。

オリバは、「疑惑の真相について教えてほしい」とインタビューで問われた時に、

  • アーノルドはとは良きライバル関係かつ自宅に招くような親しい友人であること
  • コンテスト時には一度も負けたと思ったことはないこと

を語っており、核心については上手く暈しつつジェントルな一面を見せていました。

セルジオオリバの筋肉の秘訣

トレーニングメニュー

セルジオオリバのトレーニングメニューについて、語り継がれている内容をまとめます。

  • 頻度は週6回
  • 各部位が週に2回トレーニングできるメニューを構成
  • 1回のトレーニング時間は2〜3時間
曜日トレーニング種目回数セット数
月曜日
(胸&背中)
ベンチプレス&チンニング(スーパーセット)6セット8回
ダンベルフライ&ディップス(スーパーセット)5セット15回
火曜日
(肩&腕)
ショルダープレス5セット15回
バーベルカール5セット5回
フレンチカール5セット5回
バーベルスコットカール5セット10回
ダンベルスコットカール5セット5回
ダンベルフレンチプレス5セット5回
プレスダウン5セット15回
水曜日
(脚&腹筋)
シットアップ10セット50回
レッグレイズ5セット20回
サイドベント5セット200回
スクワット5セット5回
スタンディングカーフレイズ10セット8回
木曜日
(胸&肩&背中)
ベンチプレス5セット5回
バックプレス5セット5回
ローイングマシン5セット12回
ダンベルプレス5セット8回
ディップス5セット8回
金曜日
(背中&腕)
ナローベンチプレス3セット5回
スコットカール3セット5回
フレンチカール3セット5回
ダンベルカール3セット5回
ビハインドネックチンニング5セット5回
クローズグリップチンニング5セット5回
土曜日
(脚&腹筋)
スクワット6セット3回
フロントスクワット5セット10回
ライイングレッグカール5セット12回
シットアップ5セット10回
レッグレイズ5セット10回
サイドベント5セット50回
日曜日休養

オリバの名言からメンタルを学ぶ

何もできなかった。FBIの保護観察下にいたんだ。キューバ革命に大きな影響を与えてしまったからね。重量挙げで金メダルを取ることを期待されていたのに出場すらせずに亡命をしてしまったんだ。
We could not do anything. We were under the protection of the FBI because we were making a big, big impact of the Cuban Revolution. I was supposed to bring the gold medals back but defected the day before, and I didn’t compete.

その頃、英語は一言もしゃべれなった。だけど、常に頭は使っていた。知能をくれた神様には感謝しないとな。
At that time I didn’t speak one word of English, but I always used my head, and thank you to God for giving me the ability to use my head.

アメリカに亡命したは英語が全くしゃべれなかったセルジオオリバ。トレーニングの傍ら、夜間は語学教室に通って英語を学んでました。

宅(タク)

まさにゼロからのスタート。自ら人生を自ら切り開いて生きてきたのですね!

他の誰でもない。自分で自分の肉体、自分のルーティンーそう、自分のすべてを作り上げたんだ。強烈な経験だったよ。
Nobody else made me. I made myself, my own routines – everything on my own. And it was dynamite.

私はボディビルのすべてを愛している。ボディビルが私にとっての人生なんだ。
I love everything about bodybuilding. Bodybuilding is my life.
ボディビルコンテストに臨む上で最も楽しいことって何?(What did you like most about competing as a bodybuilder?)と問われて回答した言葉。

宅(タク)

人生のすべてをボディビルにかけてきたオリバだからこその重み。痺れます!

食事へのこだわり

セルジオオリバがどういった食事メニューを取っていたのか、詳細は分かりません。

ただ、1968年のインタビューで、筋肉がついた理由を尋ねられた時、

トータルで6.7㎏の筋肉を得た事になります。どうして私がそうなれたのか?半分はトレーニングによってですが、もう半分は食事(もちろんハイ・プロテインを含む)です。その2つを上手く組み合わせる事によって、岩のような固い筋肉が徐々についていくのです

と食事の重要性を語っています。